発端:診断のきっかけ
息子がADHDとASDの診断を受けたのは、小学5年生の時。それまでは、明るくてクラスのムードメーカー。ちょっと強引なところはあるけど、周りとうまくやっていた。
でも、その年の担任が「普通」を何よりも大切にする先生だった。「離席するのはおかしい」「授業中に立つのは集中できていない証拠」そう何度も言われ、発達検査を勧められた。
そして、診断がついた。
事件:給食でのきゅうり
ある日の給食。
息子が嫌いなきゅうりを残そうとした。
担任は「アレルギーじゃないなら食べなさい」と譲らない。
息子は「無理!」と言っても聞き入れてもらえず、次第に追い詰められていった。
そして…、体操服の袋の紐で、自分の首を絞めてしまった。
周囲の反応と親の葛藤
その行動を見た担任は言った。
「やっぱり普通じゃない、おかしいです」
私は学校にお願いした、「食べたくないものは無理に食べさせないでください」
でも返ってきたのは
「アレルギーでない限り、皆んと同じように食べてもらいます」
_____理解してもらえない…
息子は「普通」と言う枠から外れた瞬間に ”問題児” にされてしまった。
親子で苦しんだ日々
学校に行くたびに胸が締め付けられた。
息子は登校を渋り、私は先生と戦うような毎日。ただ、「うちの息子はおかしくない」と言いたかった。
普通じゃなくていい
息子の「行きやすさ」を守りたかった。
小学4年までは先生にも友達にも好かれて、。毎日があんなに楽しそうだったのに…
中学生となり また試練
中学に上がった途端
「静かにしろ」「集中しろ」「姿勢を正せ」鬼軍曹のような教師たち
先生たちは”明るい生徒”より”真面目な生徒”を好んだ。息子の明るさは、注意の対象になっていった。
中学はどんなところだろうと期待に胸を膨らませ入学した息子だが
少しづつ、笑うことが減り、無邪気な彼が、どこかぎこちなくなっていった。
ーーー一いつからだろう、「普通」に合わせることが、しんどくなっていったのは。
気がつけば 朝が来るたび、憂鬱だった。
何度アラームを鳴らしても、起きない。
「早くしなさい!」と叫ぶ声で、ようやく体を起こす息子。
二度寝、三度寝、無反応、なんてこともある。
目は半分閉じたまま、制服のボタンをかけ間違える。
朝ごはんを食べるまでに時間がかかる
週に4日、遅刻。
玄関を出る頃には、私もすでにクタクタ。
それでも「今日こそはちゃんと行けますように」と願っていた。
でもそんな日が続くうちに気づいた。「普通の朝」を過ごすことが、うちには”特別な努力”がいるんだって。
”普通”がこんなにしんどいなんて___あの頃の私は、まだ知らなかった。
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学校へ行ったとしても、なんとなく浮いていた。
「普通」にしなきゃ、「普通」って何? 俺の何がいけないの?
何で怒られたかわからない、俺は「普通」にしていたのに…
もうね、無理してるのが分かった。
障害者手帳の申請も、考えた。その方が本人が“生きやすく”なると思ったから…
でも本人は断固拒否。
「そんなもん、いらん」
「障害者って言われたくない」
「偏見の目で見られる」
自分の特性を、まだ受け入れられていなかった。
病名の意味も分かっていなかった。
実際、私もわかっていなかったのかも 息子の気持ちを…
普通でいられないなら、いっそ”特別”にしてしまったほうが楽になるんじゃないか。
そう思った私のほうが、現実から逃げたかったのかもしれない。
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でも今思う。
あの時期があったから、
今、少しずつでも前に進めてるんだと。
「普通」がしんどかっただけ。
「周りと同じ」が苦しかっただけ。
それに気づくのに、私も、息子も、時間がかかった。
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次回予告:
🟠第9話「普通がしんどかった中学時代~部活動編~」

